第4節:

   勝負の世界がこれほどまでに無情で過酷であるとは思いもしなかった(自身19歳)


 

 高校を卒業してまだ6ヶ月程しかたっていない、9月10月には日本のプロ野球の入団テストが実施されるということで急遽日本に帰ってテストを受けることを考え、そのための調整に入った。

 特に日本の入団テストは、投手であれ野手であれ、50メートル走と遠投がある。

 アメリカのトライアウトではピッチャーはマウンドで投げるのみである。普段ダッシュはトレーニングとしては行うが、50メートルという距離を全力疾走などはほとんどしないために、そのためだけに50メートルを走る練習をしたのである。遠投もこの頃はほとんどしておらず、遠投を投げることのできる体をつくる調整をおこなったのである。

 そして満を持して、入団テストの4日前に帰国した。

 初めて受けた入団テストでは、珍しく緊張していたのを覚えている。しかし、アメリカ人選手に囲まれて生活していたせいか、日本人の入団テスト参加者達は当然小さく見え、全然大した事なさそうだな、と正直がっかりしていたのもあった。

 遠投、50Mは基準以上に達していたため、クリアであったが、2次審査のブルペンでのピッチングでは、球速はそこそこであったが、コントロールが思うようにいかなかった。まだ日本に帰ってきて4日ということで時差ボケが残っていたせいもあったと思う。後日連絡をしますということで、この日は帰った。

 そしてこのような感じで他の球団も受けてまわり、後日連絡をくれるというスタイルのところと、その場で合否を伝えられて、別日の最終審査に進むという形の球団もあった。

 そのうちの、ある球団が最終審査で「2軍の秋季キャンプに参加してみないか」と打診してきた。しかしこの話もすぐになかったこととなった。結局この年の入団テストでは、最終審査どまりで結果が残せなかった。これは時差ボケと、日本にいる間の1ヶ月弱の間、調整とはいえ、本格的に練習をする環境がなかったのもマイナス要因であった。

 この時期に何か自分の中で野球に対する意識が変わりつつあったのかもしれない。

 野球をすることが純粋に楽しいと思えなくなってきた部分があったように思える。短い期間ではあるが、日本にいたため、家族や友人、恋人など、野球以外での生活を共に過ごしてきた仲間がいる。いわば期待感を肌で感じるのである。それは時として自分自身へのプレシャーを作り出していた。

 1日中 野球が出来る幸せだけでもなんとかなってきたこれまでとは、心境は少しずつ変わってきていた。仲間に会いたくないとまで思えてきたのである。この頃通ったウエイトトレーニング施設でも、面識のない人でも私のことを知っているという人も出てきた。どこへ行っても自分は「能力があって当たり前」という目でみられているんじゃないかというちょっとした被害妄想癖もこの頃はひどかった。

 日本でメジャーリーグのトライアウトが開催されるとの情報を受け、そのための調整を開始した。とはいっても開催日は11月である。時期的に投球するにはかなり寒いときである。体もなかなか温まらず、日々の練習でも故障をしないように細心の注意が必要であった。

 テスト内容は、メジャーらしくピッチャーはブルペンで投球するものが1次審査、ここで残った者が、野手で1次審査を残ったものとの対戦型実践登板ということになっていた。

 1次をクリアし、実践登板に向けて準備をしていた。そのときに一人のスカウトに呼ばれた。アメリカでアマチュアではあるがプレーしていたという情報を耳にしたらしい。それで、「一番に投げろ」というのである。

 言われるままにマウンドに上がって投球練習を始めたが、これが、日本特有のマウンドであった(日本の球場の多くは黒い土で内野は埋め尽くされているのでマウンドも傾斜がゆるく、足を踏み出す位置の土が掘れてしまう。アメリカの球場のマウンドは土が粘土質で硬く、傾斜がきついのである)。

 この部分は多少仕方がないとは思いながらも窮屈さを覚えていた。この当時の変化球の持ち球はスライダーとフォークのみ。傾斜がゆるいせいか、スライダーが高めに抜ける。バッターとの勝負を考えると、これはまずいと思い、フォークのみにするしかないと考えた。このフォークは落ちることは落ちるのだが、思った高さで落ちない。結局主体はストレートということになる。

 それでもこの当時はかなりの自信家であったため「この状況でもなんとかなるだろう」と、あなどっていた。

 そしてバッターがバッターボックスに入り、対戦が始まった。

 

 初球のややアウトコース気味のストレート。

 

 

 カッ という乾いたバットの快音が響いた。この瞬間ボールはレフトスタンドへ。

 初球ホームランである。

 まさか と今の状況をワンテンポ遅れてやっと理解することが出来た。後で分かったのだが、この選手も私と同様にアメリカでプレーしていた選手であったのである。

 このときに私は自分の未熟さを思い知ることになる。

 どのような状況になっても平静を取り戻し、最小失点に抑え留めておくことが、真のピッチャーである。しかし、私はこれでこのトライアウトは終わってしまったと思い、とりあえず全力投球をし、スピードをアピールしようと必死に投げたのである。

 しかしその様な力んだボールはコントロールできるわけもなく、フォアボールを連発してしまった。打たれたことに完全に動揺し、それを意識しすぎて、それを挽回するために、間違った方向に向かってしまったのである。

 私は自身へのうぬぼれによって、真剣勝負の場面であるにも関わらず、挑むべきでない態度で臨んだのである。

 たった一球。

 あの一球が違っていれば、全てが変わっていた可能性は十分にあった思う。

 そして当然、このトライアウトは落選したのである。勝負を分ける一球。今思えば当然のことであるのだが、当時未熟であった私には薬としては苦すぎる経験であった。大勢の前で恥をかいたという自己嫌悪が、プライドとぶつかっていた。

 アメリカでプレーしていたといっても、所詮球が速いだけか、という冷ややかな声も聞こえた。意地を張ってアメリカに渡った私の心情ごときは、この勝負の場面では何の影響も与えない、単なる自己満足であるかのように思え、本当に恥ずかしくなった。と同時に、本当の自分の力を見せ付けることが出来たなら、逆に勝ち誇ってあざ笑っている側に回っていたのかもしれない、とも反省をした。

 この気持ちは、これからの野球人生で何度も味わうこととなる。

 

次回 

 第5節:初めての歓喜(自身19歳)

次回掲載は来週を予定しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回予告

第5節:初めての歓喜(自身19歳)

 

過去節

第1節:松坂世代ということは「能力があって当たり前」という世間の先入観を生んでいた(自身18歳)

第2節:日本人であるということ(自身18歳)

第3節:華やかな世界の裏側で踏まれていく多くの選手達(自身19歳)

 

 

CONTENTS

150km/hを投げれた理由

ベースボールと野球の違い

ボールプレーヤーを志す人へ

ピッチャーに必要なもの

多くの仲間との出会い リンク集

TOP

 

スポンサーリンク

バーナックス

【バーナックス】アミノ酸の力で脂肪燃焼力をUP!身体の回路を変えます!【美容・ダイエット商品の【オンラインショップ104】】

アミノ酸の力で脂肪燃焼力をUP!身体の回路を変えます!

GAPS65000

GAPS6500【HIT-NET SHOP】

 

 

 

 

 

今、注目の白インゲン配合。炭水化物の摂取を80%以上カット!いくら食べても大丈夫という画期的な発想のサプリメント!

クエン酸スティック

クエン酸スティック【問屋さん.net】

 

 

 

 

 

 

エネルギーサイクルの代謝率に大きく関わってくるのが、このクエン酸です。筋肉が疲れを感じている時にはよく効きます。

BCAA2500+クレアチン

【BCAA25000+クレアチン12500】運動嫌いの方でも!筋肉を鍛えて美しくダイエット!【これこれ倶楽部】

 

 

 

 

 

 

アミノ酸の中でも、体内での利用効率の高いBCAAと、瞬発力を高めるために効果的なクレアチンを配合した珍しいサプリメント。通常は別々に摂取することを考えると、非常にお得な一品。