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第1回選手とファンの関係アメリカでベースボールに触れ、日本野球とのたくさんの違いを発見しました。それらは単純に国民性と言われるものに始まり、ベースボールというスポーツ性に付随するもの、広大なアメリカ大陸の各地域に限った地域性のものなど、非常に考えさせられるものが多くありました。 初回である今回は、そのうちの選手とファンの関係についてお話したいと思います。 アメリカではメジャーリーグのチーム、マイナーリーグのチーム、インディペンデントリーグのチーム問わず、地域密着型の姿勢が徹底されています。特にマイナーリーグ、インディペンデントリーグのチームは、他に娯楽施設のないような地域(一般的にはど田舎です)にフランチャイズ/ホームグラウンドを持つので、その地域の人は自然と自らの住む地域にあるチームのファンになります。そしてチームも一人でも多くファンになってもらうためにファンサービスを徹底します。 シーズン前には近くのショッピングモールのグッズ売り場の前などでサイン会や握手会などを行うことはもちろんのこと、シーズン中にも毎試合なんらかのイベントをしています(私の知っている最も面白かったイベントとしては内野の芝生に1ドル札を敷き詰めて、チケットに書かれた番号が当たったファンが1分間で取れるだけ取りまくるというものです!選手も一緒になって取ってあげて、そのファンのポケットやベルトにはさんであげてました)。 チームは採算を取るために非常にシビアな現実があります。特にインディペンデントリーグはその極みです。私のいたチームも今はもうありません。リーグごとなくなってしまったチームもあります。この多くは、観客動員数が激減し、スポンサーからの広告料が入ってこなくなってしまう、といったものや、出資者が突然いなくなってしまう(出資者自身の事業が失敗してしまうなど)ことなどが挙げられます。 これらは選手にもろに降りかかってきます。いくら試合成績をいいものを残せても、観客が入らなければどうしようもないわけです。お金をもらって野球をするということは元来こういうことなのです。その部分の意識が日本の選手との違いであるとも思います。 そこで選手はファンのために何ができるかということも、試合で結果を出すためにどうすべきか、ということと同じように考えます。ただ勝てばいい、というのはアメリカではアマチュアなのです。確かに試合で結果を出さないというのは論外ですが、試合結果さえよければいいというわけではないということなのです。 そして、ファンも自分達が球場に足を運ばなければこのチームの存続に大きく影響することを知っています。ファンはチームがこの街の象徴として存在し続けられるように、一生懸命応援するわけです。街の唯一の娯楽を残すために、球場に足を運ぶわけです。 本当にファンに支えられているなと実感したのは、試合中のことでした。 その日の試合では、私は調子が悪く、フォアボール2つとヒット2本、とどめにホームランで1イニングに5点をとられてしまうという失態を露呈してしまいました。当然ピッチャー交代が告げられ、情けなく、悔しい気持ちでうつむきながらベンチに帰ろうとしたときです。突然大歓声が聞こえてきたので、びっくりして顔を上げると、ベンチの上方のスタンドのファンの皆が立って拍手をしてくれていたのです。その歓声の中には「よくやった!」「ありがとう!」といった声が多く含まれていました。ベンチに帰ってもチームメイトも同じく健闘を讃えてくれたのです。 これはこの試合が特別なのではなく、ほぼ毎試合このような雰囲気で選手の交代が行われます。 日本ではまず間違いなく、そんな状況での投手交代では周りの選手は気を使って話しかけてきたりはしません。腫れ物に触るように、よそよそしい態度で、熱が冷めるのを待つだけです。 選手はファンのために、ファンはチームのために、チームは選手のために、ベースボールというものがあるわけです。 ある意味本当の意味でのプロフェッショナリズムというのはアメリカという環境のほうが強く育つと思われます。それはアメリカ人選手の方がプロ意識を強く持っているという意味ではなく、アメリカでのベースボールを取り巻く環境が、プロ意識を持たなければ生き残れないということです(多くのアメリカ人選手でもこの部分を持たずに潰れていく選手も多く見ました)。 ファンに対する心構えもプロ意識を持って向かわなければいけないということです。多くのファンもファンとしてどうあるべきかを知っています。ファンはチームに誇りを持ち、選手はプロである誇りを持つ。この図式がアメリカのプロスポーツを支えていると考えます。 選手とチームとファン。強烈な個性でも容認する環境で、お互いがお互いを相互に補完し合える関係であるわけです。 次回
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